両腕と足がない先天性四肢欠損症として生まれた佐野有美さん。小学生のときに抱いたトラウマからしばらく笑顔を忘れていましたが、高校に入るとチアリーディング部に魅了されていって── 。

小学校のころのトラウマを引きずっていたが
── 手足のない「先天性四肢欠損」として生まれた佐野有美さん。SNSなどで前向きな言葉を発信し、明るい笑顔で多くの人に元気を届けています。けれど、その笑顔の裏には、思春期に自分を見失い、笑うことが怖くなっていた時期もあったといいます。高校では、チアリーディング部に入部。運動部の中でも体を使うチアに挑んだのは、なぜだったのでしょう。

佐野さん:最初は、友達のつき添いで見学に行っただけなんです。当初は自分には無理だと思っていたし、入るつもりはまったくなくて。でも見た瞬間、衝撃を受けました。「すごい、カッコいい!」と。先輩方の笑顔が本当に輝いていて、パワフルで元気いっぱいで。

そのころの私は、心の底から笑うことができなくなっていた時期でした。「変わりたい」「自分を取り戻したい」という思いを抱えていたからこそ、あの光景に強く心を揺さぶられました。まさに心を奪われた瞬間でした。

──「笑顔を失っていた」というのは、どんな背景があったのですか?

佐野さん:小学校高学年のころ、感謝の気持ちを忘れて友達に強い態度をとってしまい、孤立したことがありました。そのとき初めて、私は周りに支えられて生きていたんだと実感して、猛省したんです。みんなにきちんと謝って、また仲間としてやり直すことができました。

ただ、その経験がきっかけで、今度は「申し訳ない」という気持ちが先に立つようになってしまって。中学校に入ると新しい友達も増え、以前のような明るさを出せなくなっていきました。引っ込み思案になって、自信も失ってしまったんです。

また誰かを傷つけたらどうしよう、また孤立したら怖い。そんな気持ちばかりが先に出てしまって。「今のひと言で相手を嫌な気持ちにさせていないかな」と考えすぎてしまう。だから何かを決めるときも「みんなに合わせればいいや」と自分の意見を言わなくなりました。そうしていくうちに、気づけば本気で笑うことができなくなっていたんです。

── 過去の反省が、いつの間にか自分を縛るトラウマのようになっていたんですね。

佐野さん:まさにそうでした。中学時代はずっとそんな感じで。だから高校進学にも不安があり、「行きたくない」と思っていたほどです。でも両親が「高校だけは出ておいてほしい」と言ってくれて、バリアフリーの整った私立高校に進むことになりました。

両親は「自分らしく生きていけばいいんだよ」と励ましてくれたけれど、その「自分らしさ」がわからなくなっていたんです。「明るいところが有美らしさでしょ」と言われても、どうすれば明るく振る舞えるのかもわからない。それが本当の自分なのかも、もはやわからなくなっていました。

そんなとき出会ったのがチアリーディング部でした。先輩たちが笑顔で生き生きと活動している姿を見て「あ、これだ」と。忘れていた感覚が蘇りました。「そういえば私、昔こんなふうに笑ってたよね」「ここに私の答えがある」と思ったんです。「私もここに入れば、笑顔を取り戻せるかもしれない」と。

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